Nov 2, 2026 散文

旅先の巻き貝と怒り

by kkyam · 10 min read

ホテルは、熱帯の島でも屈指のリゾート地にあった。プライベートビーチや宿泊者向けの散策路を備えた、相応のグレードの施設だった。妻と私はコテージと呼ばれる独立棟に滞在し、テラスで数日間、ほぼ一日中、ただ波や風の音、鳥の鳴き声を聞くだけの、のんびりとした時間を過ごした。身体だけでなく精神までもが整うというのはこういうことか、などと思いながら。

チェックアウトした朝、私たちは帰路につくため、空港行きの送迎用マイクロバスに時間の余裕を持って乗車した。自分たち以外に誰も乗り込んでこないので、このスタイルのホテルだと、宿泊者の多くは自家用車やレンタカーでやってくるのだろう、と話していた。

出発時間ちょうどに、夫婦と思われる日本人の中年男女があたふたと駆け込んできた。車内後方の席に乗り込み、息を切らしている。つい先ほどまで、プライベートビーチを望むホテルのエントランスにある巨大な巻き貝の彫像の前で、しきりにスマホで写真を撮っていたのは、この夫婦だったようだ。滞在を終えるのが名残惜しく、ぎりぎりまでここにしかない風景を写真に収め、今まさにここにいたという事実を記録したい気持ちは、旅をする者としてわからなくはない。

品よくお辞儀をし、笑顔で手を振るスタッフに見送られて、バスはホテルを出発した。思わず私も深く頭を下げ、大きく手を振り返す。普段はそのような儀礼的なことはあまりしないので、自分で自分に少し驚く。ハンドルを握る高齢の男性ドライバーが、空港までは高速道路経由で一時間半ほどの行程となること、安全運転を心がけるので車内でゆっくりしてもらいたいことを、マイクを使わず英語で四人の乗客に告げた。海岸沿いの道路を進むマイクロバスの車窓の先には、南国の青い海と白波が広がっている。

しばらくして、車内後方から声が響いてきた。二人連れのうち、女性の声だ。

「えぇーっ、なんやこれ!?」

連れの男性は特に反応していないようだったが、女性は声を少し大きくして続けた。

「巻き貝、写ってへんやん。なんでなん? なぁ? なんで巻き貝写ってへんの? バス出るまで時間ないのにあそこでわざわざ写真撮ったんは、ホテルに泊まった記念に、海をバックに巻き貝の銅像みたいなんと一緒に収まるためやろ。言うたよな? そういう写真が欲しいて、撮ってって頼んだやん。なんで私と海しか入ってへんの? なぁ? なんでよ? 巻き貝は? 巻き貝どこ行ってん? ったく、巻き貝入ってへんかったら意味ないわ。ほんま、どういうこと?」

剣幕、という表現がふさわしい、不満や文句の域を超えた怒りに満ちた話し方だ。私たちは身を固くしたが、狭い車内では会話がすべて耳に入ってくる。日本語はわからないはずのドライバーの手が少しこわばっているように見えたのは気のせいか。怒号を上げた女性の隣にいるはずの連れの男性が一言も発しないので、そっと振り返ると、ただぼんやりと、中空を見つめていた。女性は、手元のスマホの画面をまだ食い入るように覗き込んで「ほんまにもう……」と呟き続けている。そして、再び声を大きくして言った。

「なぁ、さっきから、なんで、て聞いてんねん。答えて。なんで? な、ん、で、巻き貝写ってへんの、で、す、か? はよ答えて」

「あれは、その、あんたがきれいな海を背にして立ってるとこを……」と男性が弱々しい声で話しだすと、女性はそれを遮って、すかさずこう言った。

「はぁ? 何? 言い訳してんの? 弁解やったら聞きたないわ。余計腹立つわぁ。なんや、写真もまともに撮られへんくせに、言い訳ばっかりちゅうことやな。どういうことなん? ほんま、ムカつくわぁ。言い訳せんといて、もっと腹立つから。なんやねん、この旅行。もうあんたのおかげで台無しや。あーあー、最後の最後で全部台無しや。巻き貝、どないしてくれんの」

女性はその後も長い間、ブツブツと何かを言い続けている。男性は何も話さない。車内の空気は、張り詰めたままだ。妻と私はそれぞれ「写真くらいで、そんなに怒らなくてもいいのに」と思っていたが、それを口にすることはもちろんなかった。

しばらくして、ドライバーが、恐る恐る、という声色で、まもなく高速道路のサービスエリアに停車して十分ほど休憩すること、お手洗いは売店の奥にあることを告げた。

マイクロバスが停車し、プシュウという間の抜けた音とともに扉が開くと、車内の空気が解き放たれたようにも思えた。妻と私は気分を変えようと車外に出て、それぞれトイレに行くことにした。

トイレで用を足して手を洗っていると、隣の洗面台に、後方に座っていた男性が立った。正面の鏡の中でわずかに目が合い、互いに同じ送迎バスに乗車している者同士であることを認識する。しかし、すぐには言葉を交わさない。私は、男性が一方的に責められる立場から一時的に解放されて、さぞほっとしているだろうと思ったが、それを口に出すのは失礼であるし、そもそも丸聞こえだったとはいえ、他人の会話をすべて聞いていたというのもよろしくない。自分はここで何かすべきなのだろうか。慰めの言葉をかけるのはお門違いだし、お互い大変ですね、などと言うのも違う。

すると男性が、「いい天気ですねぇ。海と空の青さが目に染みます。帰りたくないですね」と爽やかな笑顔で声をかけてきた。私は少し意外な展開に戸惑い、「あ、ええ。ほんと、そうですね。いい所です」とだけ答えて先に洗面エリアを後にし、バスに戻った。

バスがサービスエリアを出てから空港まで、後方の二人は居眠りをしていた。妻と私も何も話さなかった。空港ではドライバーに礼を告げて、ターミナルビルに向かった。中年夫婦は別のフライトに乗ったようで、それ以降、見かけることはなかった。

その後しばらく、妻と私は、その旅を思い起こすたびに、それにしても強烈なカップル(正確には女性)と一緒だったね、と帰路の送迎バスでの出来事を話題にした。それは旅の笑い話の一つであり、同時に、あの女性はさすがに言い過ぎだったのではないか、あの男性はあまりに可哀想だったのではないか、という、その時点ではもはやどうにもならない感想の反芻でもあった。

しかし、かなりの時間がたっても、私はあのマイクロバス車内の雰囲気が奇妙に思えてならなかった。あのカップルの普段の関係性は一体どのようなものだったのだろうか? 突発的に起きた状況にしては、男性が落ち着きすぎていた。あの状態や会話があの夫婦の常で、そのままいつも二人で旅しているというのも、どこか想像しにくい(そうであれば自分なら一緒に旅行には行かない)。

そして私は思い至った。もしかしたら、あの女性の物言いも、考え方も、男性への責め方も、あの女性なりの旅先での精神の解放であり、普段とは違う時間ならではの楽しみ方であったのではないか。男性はそれを百も承知で、二人の旅の出来事の一部として、終始受け止めていたのではないか。それも含めて、彼らなりに最高の旅だったのかもしれない。

さらに、あの男性は普段は彼女に対しても、周囲の多くの人に対しても、もっと主張の強い人である可能性さえある。日常ではそうなのに、旅のあいだだけは、黙って受け止める側に回っていた。彼女が日常の自分から解き放たれていたのだとしたら、彼もまた、日常とは別の自分になっていたのかもしれない。そう考えると、洗面台の前で見せた爽やかな笑顔も、取り繕いではなく、男性のもう一つの姿であったようにも思えてくる。もちろん、これは私の勝手な想像にすぎない。しかしそれが、自分にとって最も腑に落ちる解釈にも思える。

あの朝、ホテルのスタッフに思わず手を振り返した私も、普段の私ではなかったことを思い出す。旅先の時間というのは、人を少しだけ違う人間にすることがあるのかもしれない。これを妻に話すと、「そうだったかもね。お互いさまだしね」とそっけない。本当のところは誰にもわからない。あの夫婦も今ごろ、どこかで話しているのかもしれない。前の席に、スタッフに妙に丁寧に手を振り返す、ひどく無口な人たちがいた、と。

怒号から始まった小さな記憶をめぐって、いつまでも答えのない謎に思いを巡らせるのも、旅の楽しみのひとつだと思うことにしている。私たちもまた、誰かの旅先の光景のひとつになっているのだろう。

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