Aug 8, 2026 短篇

[短篇] 端くれ、旅ひと

by riito_s · `短編小説 · 約2万字 · 読了40〜50分`



現在地(二〇二四年)


 旅先の夢しか見ない。どれも、悪夢と呼べるものばかりだ。

 白石俊平(しろいししゅんぺい)はゆっくりと瞼を開けた。

 車窓の先に、LEDの白光に照らされた鉄道駅が、ぼやけて見えた。帯広駅だろう。複数のプラットホームが、ゆっくりと後方に流れていく。

 根室本線を走る特急おおぞら5号で、道東の根室へ向かう途中だった。

 眠る前のわずかな時間に、奇妙な明晰夢を見た。キルギスタンらしき中央アジアのどこかのローカル鉄道駅で、キルギス語のキリル文字の案内表示を読めないまま、正しいプラットホームを探しあぐねていた。東京へ戻る臨時フライトに間に合うために今夜中に空港に着かなければならないというのに、どこへ向かえばいいかわからない。焦りが静かな恐怖に変わりかけたその瞬間、見知った女性の声が日本語で自分の名前を呼んだ。夢の中では顔も名前も思い出せなかったが、声の質感だけは確かに知っていた。女性は「私は合い言葉を知っています」と言い、手元の辞書を繰り始めた。そこで目が覚めた。

 夢の中のどこかで、限りない自由の感覚があった気がする。しかし目覚めるとそれは霧のように消えており、今はもう問う気になれない。こんな夢をこれから先も何度も見るのだろうか、と思うと気分が暗くなった。

 白石俊平は今年五十六歳になった。この春、二〇〇三年から二十一年間続けてきたフリーランスのジャーナリストの仕事を辞めることを決めていた。新たな仕事を受けなければ、それ自体が廃業を意味した。

 理由は一言で言えば、仕事の根拠を失ったことだ。

 二十一年前に航空会社を辞め、「自ら事実を見つけ、伝える側に立つべきだ」と信じてジャーナリストを名乗るフリーライターになった。信念は今も変わっていない。変わったのは、世界の方だ。事実は今や「あるもの」ではなく、誰かが「望むもの」になっている。アルゴリズムが人間のふりをして情報を選別し、誰もが自分に都合のいい現実を消費している時代に、記者が「事実を伝える」とはどういう意味なのか。その問いに俊平は答えを出せないまま、二年前から仕事の量を減らしていた。

 根室へ向かうのは仕事ではなかった。四十年近く前の十代のころ、初めての一人旅で訪れた風蓮湖畔に再び立ちたかった。それが、廃業を決めた年にすべきことだと、はっきりとわかった。理由は説明できない。旅をする者として、ただ、そう感じたのだ。



境界線(二〇一六年)


 入国審査場は静かで、仄暗かった。白石俊平はジョージアの首都トビリシの国際空港に到着し、入国審査の長い列で順番を待っていた。翌日から、東部カヘティ地方でのワイン生産の取材を始めるための旅だった。

 外国人用の審査ブースは二つしか開いておらず、行列は遅々として進まない。世界各地を転々とする俊平は、入国審査がどうしても好きになれなかった。そこではほぼすべての行動が制限され、人格の一部を値踏みされる。それが見ず知らずの審査官によって行われる。

 しかし、ジャーナリストである俊平にはさらに憂鬱なことがあった。過去の取材活動や署名入りで執筆した記事が、特定の国や組織にとって不適切だと判断され得ることだ。四十代も後半になった二〇一六年の現在まで十三年、さまざまな記事を書いてきた。事実に基づき、主観はなるべく織り込まない。しかし、場所や視点が変われば「事実」そのものが否定される可能性はある。記者であり物書きの端くれである俊平には、自分の仕事の蓄積が、入国を阻む可能性のある材料になりうる。この矛盾は、旅の度に小さな石のように胸の底に積み重なっていた。

 鬱々とした気分で立っていると、隣の列の後方から、日本語の会話が聞こえてきた。

「モシ、ヨカッタラ……」

「エエエ、イインデスカァ」

 静かなホールに波紋を広げるように響く、初老の男の掠れた声と若い女の張りのある声だった。澱んだ空気の中では場違いな、陽気な調子だった。

 ようやくブースに呼ばれ、大柄の審査官と向き合った。「滞在の目的は?」「観光です」

 実際には仕事なのだが、ジャーナリストが入国手続きで正直に申告することの利点はない。

「帰りの航空券を」

「マルシュルートカでアルメニアに出て、エレバンからアブダビ行きのフライトに乗ります」

 審査官はパスポートをパラパラと繰り、不意に言った。

「アゼルバイジャンにはもう行ってるんだな。アルメニアに陸路で入るとき、パスポートにアゼルのスタンプがあると審査官の機嫌が悪くなるぞ。あいつら、仲が良いとは言えないからな。気をつけて」

 冗談とも本気ともつかない口ぶりで、ジョージアの審査官はスタンプをぐいっと押し、わずかに口角を上げてパスポートを返してきた。データベースにある自分のジャーナリストとしての経歴は、この国の入国の拒否条件に抵触しなかったらしい。俊平は安堵した。これで予定どおり仕事ができる。

 手荷物引き取りテーブルで自分のバッグを探していると、背後から明るい声がかかった。

「あのぉ、もしかして、日本の方ですかぁ?」

 振り返ると、東アジア人の風貌の男女がいた。年齢三十歳前後の女と、実年齢より若く整えた服装の初老の男だ。先ほど、入国審査場で大声で日本語を話していた二人連れに違いない。女は表情に聡明さを備えた美人で、男は白髪混じりの長髪が軽薄な雰囲気を醸していた。二人が一般的な旅行中の夫婦や恋人同士だと考えるには、違和感があった。

「ええ」

 俊平は可能な限り短い返事を返した。海外で、日本人だからというだけで無条件に距離を縮めてくる人物には、すぐには気を許さないことにしている。

 男の方から話し始めた。二人は別々の旅行者だが、入国審査の列で偶然隣になった。女性が泊まるところをまだ決めていないというので、男性が、ホテルと食事と移動を全部出すことと引き換えに、女性に旅のツレになってもらうことを提案した、とのことだ。

「つまり、私、買われたんです」

 女が笑いながら俊平に向かって言った。知的な印象の笑顔と、自分が「買われた」という表現がうまく結びつかない。俊平は困惑した。自分がジョージアに入国できるかどうかあれほどモヤモヤし、国境管理の意味や記者としての立ち位置にまで考えを巡らせていた間、隣の列ではふざけた男女がこんな非常識なディールをまとめていたのだ。どんな旅も多くのリスクに満ちているはずなのに、そのことを全く考えず、おそらく何にも恐れずに軽率に移動を続けられるのは、高度な技術なのか、それとも無知と粗雑さなのか。どちらであるにしろ、俊平はそうはなれない。

「それにしても意外に日本人、来てるんだなぁ、ジョージアに」

 男が俊平の身なりを眺めながら呟いた。言いようのない不信感を強めながら、俊平は事前のリサーチで知ったデータを伝えた。日本人の訪問者数は二〇〇六年から今年の二〇一六年の一〇年間で約四倍、年間約九千人、一日に換算するとほぼ二十五人がここを通る計算になる、と。

「この先絶対に使うことのない貴重な情報をありがとうございます!」

 男の声がホールに響いた。不愉快にはなったが、久しぶりの日本語での会話は声帯の使っていなかった部分のリハビリのようでもあり、彼らの旅のスタイルについては、感心はできなくても旅の多様性を知る点では無駄ではないだろう。到着ロビーでタクシーに乗る二人と別れ、女が最後に手を振りながら、

「またどこかで会いますね、きっと。名前教えてください」

と、言ってきた。俊平は「おそらくもう二度と会うことはない」と思いながら、

「白石です」

と、答えた。

 女は「私はビー……」と言いかけたところで男に背中を押され、出口の方に歩いていった。

 一人になって、到着ロビーを見回した。ジョージア語の丸みを帯びた文字が、案内サインを飾っている。到着ロビーの店舗でSIMカードを買い、ジョージアの通信会社に接続した。明るい日差しと乾いた空気に包まれ、入国審査場の陰鬱さが一掃された。

 ジョージアを訪れるのは初めてだったが、乾いた風の感触や空の高さ、人の暮らしの質感は、まったく知らない土地のものではなかった。周辺の国や地域と連続した空気がある。初めて訪れる土地にもかすかな既視感を覚えるのは、近隣の土地を訪れた体験や記憶と重なるからだろう。国境で自然や人の営みが完全に遮断されることは、あり得ないのだ。タクシーで中心部のホテルに向かいながら、俊平はそう考えた。

 自分は以前から、地球上のどこにいるかを直感的に把握する能力があった。脳の海馬にある「場所細胞」と呼ばれるニューロンが空間認識に関わることを何かの記事で読んだが、特殊な能力というよりは、幼いころから培われた方向感覚と空間認知力の延長だと思っていた。そして世界各地を移動するうちに、地図を確認せずとも自分が地球のどの辺りにいるかをなんとなく把握できるようになった。脳内でグーグルアースを俯瞰し、そこに自身の居場所を重ね合わせているような感覚だ。

 東部カヘティ地方でのワイナリー取材は難なく終わった。農園主に「ジョージアのワインは世界最古とされているが、同じことを言っている国や地域は他にもある。どう解釈すべきか」と問うと、おもむろに不機嫌な顔になり、「ジョージアのワインが世界最古だ。それは事実だ」と凄まれた。その対応をどう記事に含めるか思案しながら、首都トビリシに戻った。

 トビリシでの残りの日々は、仕事らしい仕事をしなかった。毎日、公園や美術館をぶらぶらし、カフェで本を読み、街行く人々を傍観した。最初の数日は、空港でビーと名乗った女性とどこかの街角で偶然に出会うことを期待しなくもなかった。しかしすぐに、にやけた顔の連れ男を思い出して不愉快な気分になり、いつの間にか彼女の存在を忘れていった。

 ぼんやりと過ごす日々だったが、俊平は旅先のそんな時間が好きだ。来訪者としての自分が街に静かに受け入れられているような気がするのだ。

 市内中心部のソロラキの丘の頂に、「カルトリス・デダ」、ジョージアの母の像が立っている。右手に剣、左手に盃。友であればワインを酌み交わし、敵であれば剣で戦う。ここはシルクロードの西端の要所だった。ヨーロッパ、アジア、北のロシア、南の中東と繋がり、何千年も前から異邦人との付き合いが日常にあった土地だ。世代を重ねて旅ひとと付き合ってきた歴史が、この像に刻まれている。

 一週間後、俊平は乗り合いバン、マルシュルートカで、トビリシからアルメニアのエレバンに向かっていた。数時間かけてバンはジョージアとアルメニアの国境に到着した。車から降り、ジョージア側の建物で出国手続きを済ませ、フェンスに囲まれた通路を歩いてアルメニア側へ向かった。フェンスの下を覗くと、ほとんど水が流れていない小川が見えた。ヤギのような動物が倒木の上を歩いて川を渡っていた。あれが実際の国境線だったのだろう。

 アルメニア側の入国審査の建物は、ジョージアと比べて規模も設備も劣っている。入国審査場は狭く埃っぽく、審査ブースに続く列が乱れて、多数の人々で混乱状態にあった。

 俊平にとっては、憂鬱が恐怖に転じる状況だった。閉じた空間で自由がきかない現実が、目の前にあったからだ。ここ数年、閉所への恐怖症を患っている。発作のトリガーは今ひとつ、はっきりしない。しかし、発症してしまうと、自分ではどうしようもない。今がまさに、その状態だ。冷汗と動悸を深呼吸でなんとか収めようとするが、うまくいかない。やがて平常心は形を失い、恐慌が全身を支配した。俊平は、膝を折り、雑踏の中にうずくまってしまった。

 金属的な耳鳴りを伴う不快な眩暈の奥に、日本語が響いた。

「大丈夫ですか?  白石さん、でしたよね? 顔色、ものすごく悪いですよ」

 力を振り絞って顔を上げると、あの女がいた。

「ああ、ビー……だっけ?」

「はい。こんなところで、偶然すぎる再会なんですけど。体調悪そうですね」

「大丈夫、身体の問題じゃないから……。こうして誰かと話しとかすれば大丈夫。たぶん良くなる」

「じゃあ私と話しましょう。リアルに、日本語で」

 入国審査を待つ人の列は完全に崩れていて雑踏状態だったが、二人は少しずつブースには近づいている。

「えっと、私、ずっと考えてるんですけど……あの、世界地図って、いつも国単位で描いてあるのがピンとこなくて。たとえば地表を巨大な正六角形のピースで埋め尽くしたりする方が、良いんじゃないかと」

「は? どういうこと?」

 突然の話題に少し驚いたが、そのおかげでパニックが少し和らいだ気がする。

「旅してると、国境は移動のための情報として重要なんですけど、自分が地球のどこにいるかを把握するには、今どの正六角形のピースにいるかを理解する方がわかりやすいんですよ。正六角形はぴっしりと並べることができる。丸は隙間が空くし、正方形だと斜め隣は点でしかつながらない。公園で蜂の巣の穴のパターンを見た時にふと気付いたんですよ」

 俊平は脳内のグーグルアースの表面を、ビーの言うように一辺五百キロほどの正六角形で区切ってみた。ここコーカサスには、ジョージアとアルメニアとアゼルバイジャンの大部分をカバーするピースがちょうど一つ重なる。

「私、別に世界の全部の国を訪れたいとかじゃなくて、行ける所に流れるように行ってるだけなんですよ。このピースの地域には行ったことある、行ったことない、隣のピースに行ってみるか、って。そしたら自分だけの世界地図になるんですよ。あ、でも。これ、人に話したの初めてです。説明しても『はぁ?』なリアクションしか期待できなさそうだし」

「それ、確かに、俺には腹落ちがいい」

「本当ですか? わー、良かったー。サッと理解してくれたの、なんだか感動的です」

 ビーは嬉しそうだ。俊平は、この若い女が国や国境の概念を飛び越えて自分だけの世界地図をイメージして旅をしていることに驚いた。誰かが勝手に引いた国境線上でぶつぶつ言っているより、よっぽどまともだ。考えれば自分も、脳内のグーグルアースを俯瞰しながら世界という自分が置かれた空間を、可能な限りぐるぐる回って様子を探るのが旅の目的になってきている。それはビーと同じだ。

 いつの間にか恐怖は収まり、立ち上がることができた。

「ありがとう。助かった」

「妄想っぽい話しただけですよ」

 ビーは笑った。俊平は念のため指摘した。正六角形をびっしりと並べるのは平面だと可能だが、地表のような球面だと幾何学的に無理がある。サッカーボールの縫い目が正六角形と正五角形の組み合わせになっているのがその証拠だ。それを、切頂二十面体とも呼ぶ、と。

「あ、ほんとだ、サッカーボール。うーん、でも、そんなに精巧じゃないんですよ、私の妄想世界地図。だいたいですよ、だいたい。ざっとでっかい正六角形を並べるだけ」

「ああ、そうなんだ。ところで、入国のイミグレで一緒にいた男の人は?」

「ああ、あのスケベオヤジなら、あの後、ホテルのロビーで捨てました」

「一週間、買われた、とか言ってなかった?」

「シャレですよ、シャレ。そんなことするわけないでしょ。アホでエロい旅行者に一瞬だけ夢見させてあげたんですよ。まあ、無理くりいろいろ迫ってこなければ、もう少し一緒にいても良かったんですけどね」

 二人は最前列に立ち、ビーがブースに呼ばれた。振り返りながら俊平に向かって、

「国境って誰かが決めた見えない線で、それを越えるのは虚構を超えることじゃありません? これ、虚構ですよ!」

 と、入国審査場の天井を指差した。

 俊平がいつも一人で移動しながら心の中で自問することを、この若い女は次々と言葉にしている。俊平は「もし良かったら、この話の続きをエレバンのどこかで」と言いかけたが、ビーはもう入国審査を終えてブースの向こうに進んでいた。

「マルシュルートカ待ってるんで、行きます! またどこかで会いましょう。旅に出る人は線になるんですよ。線はぐるぐる動いて形を変えて移動するので、またどこかで会いますよ。あ、SNSで『B.P.P.』のアカ探して、DM、ください!」

 そう言って、建物の先の駐車場に向かって全力で走って行った。

 俊平が立つブースでは、アルメニアの入国審査官が、ジョージアとは微妙に異なるアクセントの英語で問いかけた。

「どうしてアルメニアより先に、アゼルバイジャンに行ったのか?」

 答えに窮し、苦笑いした。理由などあるわけない。まだ歩いていない地域に足を踏み入れるために、たまたまそこにあった国境を越えただけなのだ。行くべき土地が先にあって、後に国や国境ができた。俊平は無言のまま英語がわからないふりをした。審査官は少しの間を置き、こんな簡単な英語もわからないのか、とでも言いたげな顔で入国スタンプを押し、パスポートを投げ返してきた。



対話と回想(二〇一八年)


 機体は先ほど赤道を通過した。南アメリカのエクアドル上空だろう。俊平は機窓やシートモニターを覗くことなく、そう直感した。現在地は、出発空港のサンティアゴ・デ・チレからの飛行時間から推測したのではない。ニューアーク空港に向かって南北アメリカを縦断するこの機上でも、場所細胞が活発に機能しているからだった。俊平は自分の居場所が、いつも何となく、わかる。

 エコノミークラスには空席が目立ち、俊平が座る窓側席の隣にも他の乗客はいなかった。

 昨日までは南米最南端のパタゴニアの街、プンタ・アレーナスにいた。そこからチリの首都を経由して今この機上にいる。プンタ・アレーナスからニューアークまでの距離はおよそ一万二千キロメートル。そこからさらに一万五千キロ以上のフライトに乗り継いでシンガポールへ向かう。急な取材が予定され、無理やりスケジュールを調整した結果だ。トランジットを含め四十時間以上かけ、二万七千キロ超の距離を移動する。尋常ではない。しかし俊平の場所細胞には、このフライトルートと南北アメリカ大陸の大きさと位置、そして太平洋の広さが、独自の座標のようなものと共に、ほぼ正確に刻まれていくだろう。

 プンタ・アレーナスでは、まもなく営業を終える予定の、世界の旅行者に広く知られていたゲストハウスを取材した。日本人が二十年前に開業した、小さいが気の利いた宿だった。世界のツーリズムと人の移動スタイルの変化によって利用者が減り、営業が立ち行かなくなったとのことだった。オーナーは最後にこう話した。

「片道の旅のつもりでパタゴニアにやって来たんですが、結局、長い往復の旅だったようです」。

 俊平はそれを聞いて、自身の旅もすべて片道の移動であることに気づいた。往復航空券が安全な高速道路を往来するものなら、片道の格安航空券だけを乗り継ぐ移動は、けものみちを進むようなものだ。

 滞在中はゲストハウスに宿泊した。数名の一般客が長逗留しており、共用ラウンジに昼夜問わず集まることが多かった。イラン系イギリス人のアリゼラ、香港出身のエイプリル、地元チリ人のホルヘだった。俊平は彼らから「アザブジュウバン」と呼ばれた。アリゼラがからかい半分に名付けたのだが、東京イコール麻布十番という刷り込みがあったからだった。彼が東京を訪れた時、地図にアゼルバイジャン人のコミュニティーと思われる地域を見つけ、訪れたら江戸の下町の風情を残す麻布十番だったという。アルファベットで書く「AZABUJUBAN」は、一見「AZERBAIJAN」に見えなくもない。

 四人は近くのショップで買ったチリワインをひたすら飲んだ。一本百円ほどで買えたからだった。

 背景も考えも違う四人だったが、「どこから来て、どこへ行くのか」という話題だけで何日も話すことができた。誰も宗教や政治の話はしなかった。旅先でのマナーというよりも、無用なトラブルを避けるための移動民の防衛本能のようなものだった。ある夜、アリゼラが「最近はアジア人もよく旅をするようになった」と言った。ニュアンスは、「旅というものはヨーロッパ人が産業革命後に発明し、アジア人は近年ようやく追随してきた」というものだった。

 すかさずエイプリルが香港人特有の早口で話し出した。「四百万年前に東アフリカで誕生したホモサピエンスは十万年かけてここパタゴニアに到達した。途中、アジアを通過していることを考えると、最初に旅をしたのはアフリカ人、最長の旅をしたのはアジア人で、ヨーロッパ人は人類の『グレートジャーニー』では途中で移動を離脱したグループだと思う。あなたの言う『旅』が大航海時代などを指すなら、それはごく近年の出来事に過ぎないでしょう」。すると「大航海時代」というワードに反応してか、チリ人のホルヘが「ヨーロッパ人が行ったのは旅ではなくて征服と侵略ってことでみんな了解している」と面倒くさそうに呟いた。それ以上険悪な雰囲気にならなかったのは、辺境の旅先での見知らぬ者同士の会話というリミッターが働いたからだろう。

 その夜、最後に「旅のどの局面が最も自由か」という話題になった。旅先で朝起きた時、地酒を飲んだ時、森を歩いている時など、適当な言葉が飛び出したが、俊平は答えに窮してしまった。自分は旅の中で自由を実感する局面がほぼなかったからだ。あれほど自由に移動するライフスタイルを選んでいると自認していたにもかかわらず。黙っていると三人からからかわれて、その夜は散会となった。

 部屋に戻ろうと階段を登っている時に、エイプリルが「アザブジュウバンはどうしてジャーナリストになったの?」と聞いてきた。

「それは……」

「……お飲み物はいかがですか?」

 スペイン語話者特有の心地よいアクセントの英語で、フライトアテンダントが声をかけてきた。パタゴニアのゲストハウスの回想から現実に戻された。

「プエデ・トレルメ・アグア?(水をお願いします)」「アキ・ティエネ(はい、どうぞ)」

 水を一気飲みするが、エイプリルの問いが頭の中を駆け巡った。さまざまな記憶が妄想のように連鎖するのは、機内の気圧が地上より低く設定されているからか。

 俊平は通路を遠ざかるアテンダントの後ろ姿を見ながら、十七年前のできごとを思い起こした。今のノマドライフとは真逆の生活を送っていた夏の終わりだ。あの夜を境に、自分の中の多くのものが変わってしまったのだ。

 俊平はアメリカの航空会社の日本支社のオフィスにいた。二十一世紀になってすでに九か月が過ぎた頃だった。三十代前半で、航空会社勤務が十年目になろうとしていた。その日も午後六時の退社時刻が過ぎたというのに、誰も仕事を終えて帰ろうとしない。毎日の気分が重くなる時間帯だ。窓の外のオフィスビルの隙間からは、夏の終わりの夕暮れの空がわずかに見えていた。デスクのモニターには、書きかけの返信メールやプレゼン資料が乱雑に並んでいた。複数の「やるべきこと」が同時進行し、未完了のまま放置されている。こんな仕事の停滞感が、これから大きく改善されることはあるだろうか。

 いくつかのウインドウを閉じていくと、画面の奥に自ら設定した壁紙が見えてきた。小さなぼやけた点が散らばる宇宙の写真だった。一九九〇年に太陽系の端に到達した無人惑星探査機ボイジャー一号が、カメラを太陽の方向に振り向けて撮影した画像だ。地球の大きさは砂つぶより小さく、「ペール・ブルー・ドット」と呼ばれていた。

 機械を擬人化することは好まなかったが、ボイジャーの存在には特別な意味を感じた。地球に戻る予定がないどころか目的地も持たず、太陽系の縁の漆黒の宇宙空間を時速六万四千キロで移動し続けている。果てのない道を進む移動体が見た景色。それは俊平にとって、ある種の救いのような存在だった。

 地下鉄と私鉄を乗り継いで不動前のワンルームに戻ると、ちょうど午後十時を回ったところだった。習慣的にテレビのスイッチを入れると、キー局の報道番組が始まっていた。画面にはニューヨークのワールドトレードセンターが映っていた。上層階から黒い煙が出ているのがライブ中継されている。背景には雲一つない初秋の朝空が広がっていた。日本時間の午後九時四六分に航空機がツインタワー北棟に衝突して火災が発生し、番組では開始時間から現地映像をライブ中継していた。そして中継開始直後の午後十時三分に、別の航空機が南棟に激突。その瞬間が放送されたようだった。俊平がテレビをつけた時は、二つの機体がそれぞれのタワーに突っ込んだ後だったのだ。番組解説者が「わずか一七分の間隔で二機の航空機が超高層ツインタワーに衝突する事故が起きるのは、数学的にほぼあり得ない。テロの可能性が高いのではないか」と話した。俊平は納得した。

 しばらくして、偶然に撮影された一機目の衝突直前の映像から切り出した粗い画質の静止画が映し出された。画像はざらつき、航空機とされているものはほとんど黒い影にしか見えなかった。アンカーは「小型機ではなく大型ジェット機だ」と伝えた。

 俊平は、映し出されている粗い静止画を凝視して、リビングの床に膝から崩れ落ちた。

 アンカーは機種や航空会社を判別できないと言っていたが、俊平には黒い影が自分が働く航空会社のボーイング767型機であることが瞬時にわかった。広報の仕事がら、自社機すべての機種の写真や情報を毎日繰り返し目にしている。画像の中の判別のつかない影の中に同型機の形状を、垂直尾翼と思われる箇所に自社のロゴのかすかなシルエットを確証を持って認めたのだ。

 これは決して事故ではない。誰かが何かの目的で民間航空機をコントロールし、乗客と燃料を乗せたまま、巨大なミサイルに変えたのだ。

 犠牲者の数を含め、これからあらゆる分野に途方もない影響が出ることが想像できた。航空会社の仕事も、空の旅も、世界の人の移動も、もしかしたらアメリカや世界の政治や経済も、大きく変わるのではないか。俊平は自分の手と膝が大きく震えていることに、ようやく気づいた。

 あの夜から、もう十七年が流れた。

 俊平は二〇〇一年九月十一日の米国同時多発テロから二年後に、航空会社の仕事を辞めた。テロ後の社内外の混乱をつぶさに見続け、当事者の末端として膨大な情報に接した。しかし、その業務を長くは続けることができなかった。真実とされるものの多くが、誰かがそうであると決めたものに過ぎないことに気づいたからだった。そしていつしか、自分が本当の「事実」を見つけ、伝える側に立つべきなのではないか、と考えるようになった。

 これが、ゲストハウスの階段でのエイプリルの問いへの答え、フリーランスのジャーナリストになった理由だった。当時自分が思っていたような仕事は、今はもうやっていないけれど。

 そして、ゲストハウスで三人の旅ひとに尋ねられたもう一つの問い——旅のどの局面が最も自由か——には、今ならこう答えるだろう。

「旅立ちの前に、無限の自由があるのかもしれない」

 いつかどこかで、この答えを三人に伝えることはできるだろうか。

 機体は今、おそらく中米コスタリカ上空を飛行している。自分はまた次の正六角形のピースに到達しているようだ。俊平はそう感じながら、眠りに落ちた。



北極圏の街で(二〇二〇年)


「空気が冷たいだけじゃない。大地が凍りついている」

 トロムソ空港のターミナルビルを一歩出て、俊平は思わず全身を固くした。十月の半ばだというのに、体感温度は優に氷点下で、目の前には尖った氷の粒のような雪が舞っていた。

 慌ててターミナルに戻ると、ノルウェーで使えるSIMカードを準備していないことに気づいた。到着ロビーに一軒だけあったキオスクを覗きこんでいると、若い女性店員が笑顔で声をかけてきた。空港のWi-fiに接続するにはノルウェーの携帯番号でパスワードを受け取る必要があり、彼女が代わりに受け取って教えてくれるという。親切な申し出に驚く俊平の返事を待たず、女性は携帯を操作してパスワードを伝えてくれた。手際の良さに笑顔で礼を伝えると、女性は振り返ることもなく「イッケ・ノエ・プロブレム」とノルウェー語で呟き、肩の上で手をひらりと振り、仕事に戻っていった。

 空港のWi-fiに接続すると、東京のウェブ制作会社からのメールがあった。

 担当者は柴崎という人物だった。数週間前、「ニュース・アップサイドダウン」というウェブサイトを運営するその制作会社から突然、取材仕事を依頼されていた。「ノルウェーの最北地域の北極に続くバレンツ海に面した街、ヒルケネスを訪れ、近ごろいろいろ物騒なロシアとの国境周辺の様子を取材してもらいたい」というものだった。

 サイトを確認すると、中身はすべておふざけ半分のいわゆる面白コンテンツだった。依頼のテーマにどの程度の政治性や社会性があるのかは不明で、「旅のヤバい話もどんどん織り込んでください」とも言ってきた。断ることもできたが、取材そのものは難しくないし、旅費は経費として支払われ、ギャラもそれなりに良かった。直前もヨーロッパにいる予定だったし、スカンジナビア最北部にも足を運んでみたかった。承諾した。

 しかし、担当者の柴崎からのメールの最後に書かれていた一文が引っかかった。「旅と北欧美女にご武運を!」。

 「ご武運を」は新たな試みへのポジティブな常套句で、特段悪気がない可能性もある。しかし、自分が偶然や運に頼って気楽に働いていると誂われたようにも取れた。俊平は、いつでもその時点で最善の判断を続け、一つ一つ順序立てて緻密に旅と仕事を遂行しているつもりだ。それを一言で片付けるのは軽率だし、「北欧美女」という付け加えも不快だった。こうした仕事を受け続けながらフリーのジャーナリストの矜持を保つとはどういうことかを、改めて問い直す気分になった。

 今回届いたメールは、依頼の一部を変更したいという内容で、取材対象をノルウェー=ロシア国境の状況ではなく現地の「カニ」にするということだった。足の長さが全長で二メートルにもなるローカル種がヒルケネスの市場で取引されているらしく、その様子を「軽いタッチで」書いてもらいたい、とのことだった。

 トロムソ空港からの搭乗便はハンメルフェスト経由のホニングスヴォーグ行きだった。ヒルケネスに向かう前にホニングスヴォーグに立ち寄ることにしたのは、そこがヨーロッパ大陸最北端の岬、ノールカップへのゲートウェイだったからだ。

 機材は双発ターボプロップ機。経由地のハンメルフェストでほとんどの旅客が降り、最終目的地のホニングスヴォーグまで飛ぶのは俊平を含めてわずか五人になった。

 機体が再び離陸し、北東方向に機首が向いていることを感じた瞬間、異変が起きた。

 突然、意識が薄らぐように視界が狭まり、喉と胸が締め付けられるような苦しみに襲われた。巨大な不安の渦が思考を支配し、胸の奥から果てしない焦燥感がこみ上げた。ほとんどパニックになった。一人暗黒の空間に放り出され、何かに触れることも声を発することもできず、どこかに到達することもないだろうという絶望感。高速で真っ直ぐに飛び続け、乗客としての自分にはそれを一切コントロールできないという状況への反応かもしれない。かつて十年以上航空会社に働き、今は毎週のように飛行機に乗っているというのに、何を今さら——と自分でも思うが、移動体としての飛行機の非人間性に心身がついていけなくなった、ということかもしれなかった。

 機内灯が暗く落ち、隣席が空である事実を確認し、深呼吸を繰り返すうちに、少し気持ちが落ち着いた。

 機体は氷の上を滑るように、ホニングスヴォーグの滑走路に着陸した。

 発着場と呼んだほうが良さそうな小さな空港はフィヨルドの入江の奥に面していた。降機しようとすると、長身の機長が、コックピットから出てきた。かなりのベテランのようだ。乗客リストに目をやり、英語で話しかけてきた。

「シーロイシサン、だよね。機長のラルセンだ。具合悪そうだったけど、気分はどう?」

「何とか持ち直しました。でも、なんで不調だったの知ってるんですか?」

「自分が乗る機体には、客室を覗く隠しカメラ付けてるからね。夏以外にこの辺りに来る旅行者は、揺れで調子悪くなるから、操縦しながら見張ってるんだよ。ハハハ」

「あの、聞いていいですか? 北極圏を飛ぶって、何か特別なことですか?」

 俊平は珍しく仕事以外で会う初対面の人と距離を縮めていた。

「お、いい質問だ。いいや。他所から来た人には強烈な環境だろうけど、ここに生まれ育って働いていれば、雪は雨と、寒いのは暑いのと同じ。そもそも飛行機は寒冷地仕様だよ。ところで、これからどこに行く予定?」

「ノールカップに寄って、その後、取材でヒルケネスに向かいます」

「この時期にノールカップの岬まで行く交通手段はないよ。でも、なんでノールカップに?」

「極夜前にヨーロッパの最北端に行ってみようと」

「はぁ。最北端って言うのはさ、誰かが地図を作ったあとに気付いただけだけどね。元々あそこには特に意味はなかった。土地というのは地図上のどこにあるかじゃなくて、昔からそこがどういう場所だったか、だと思うけどね。とにかく、この時期に行くのはあまり賢明じゃないかもね」

「なるほど。今回はノールカップは諦めようかと」

「あと、ここから数日内にヒルケネスに飛ぶなら、トロムソに戻らないと。直行便は週一便だけだから」

「え? そうなんですか。飛行機以外だとどうやって行けますか?」

「パイロットにそれ聞く? んー、陸路で五百キロちょっとあるから、レンタカーで七、八時間。あとはフッティルーテンだね。たしか十八時間くらいかかる」

「ノルウェー沿岸急行船ですか。ありがとうございます」

「さ、この機体、すぐに折り返しの出発便になるから、そろそろ降りて。本日はご搭乗ありがとうございましたー。次に機上でお目にかかる際には、体調万全でお願いします」

 翌日、フッティルーテンに乗り込むと、船がかなり大きいことに驚いた。ノルウェーの沿岸延べ約二五〇〇キロを十二日間かけて往復する定期船だった。機長の言ったとおり、船は十八時間かけて次の日の朝、恐ろしくスケジュール通りにヒルケネスの港に到着した。

 北緯六十九度、東経三十度のスカンジナビア半島の東北端。ロシア国境が約十キロ先にあり、街中の案内や表示にはロシア語の併記があった。地の果てと決めつけていたが、歴史的にも経済的にも、東のロシアや南のフィンランドとの結び付きが強い土地だ。ここは昔も今も人と物のクロスロードなのだ。

 小さな街の中心部にある広場で開かれていたロシアマーケットでは、国境を越えてやってきたロシア人の行商たちが、食料品や衣類に加え、国境の標識の写真を収めたはがきやキーホルダーを売っていた。国境の両側の暮らしが共存している。

 取材のテーマはカニに変更になったが、ほぼ反射的に家族連れのノルウェー人に話を聞いていた。多くのロシア人がマーケットで物を売る以外にも生活必需品の買い出しなどで国境を越えてやって来るという。「国境にはフェンスではなくて橋を築くべき」と言う人が多いそうだ。ここでは、政治よりも生活が優先されているのだ。

 近くの市場に向かった。カニが売られていた。メールに書かれていた、足を広げると大きさが二メートル近くに、重さが十キログラムを超える巨大なカニだった。市場の責任者と漁師に話を聞くことができ、実際に蟹籠で陸上げしたばかりのカニも見せてもらった。

「北極海航路ができたら、キングクラブをトヨス・マーケットまで、一気に運ぶんだが。温暖化がこのまま進めば、そんな先じゃないかもな」

と、半ば本気で話していた。ヒルケネスの巨大なカニはキングクラブで、かつてソ連の科学者が食糧難の解決策として国境の向こうの浜辺に計画的に放流したものが大増殖し、二百キロ以上離れたここまで繁殖範囲を広げた、ということだった。カニに出入国管理がないとはいえ、国境の存在意義がまたしても曖昧になる話だった。

 写真を何枚か撮りながら、これで依頼の記事はまとめられるかもしれないと思っていると、どこかから、「すみませーん」という日本語が、妙に通る明るい声で響いた。数軒離れた店舗の前にいる、東アジア人と思われる風貌の若い女性だった。こちらを見て、

「日本の方ですよね? 少なくとも日本語がわかる人……。え、ええ! えっと、しろ、白石さん?」

 素直に驚きを隠さない顔で、こちらを見ている。

「ビー! だよね! なんと、こんなところでまた。ちょっと信じられない」

 四年前の二〇一六年にジョージアで会い、地表を正六角形のピースでつなぐ話をしてくれた女性だった。

「やっぱり白石さん! ええ、偶然を超えてますね、またまたの再会」

「こんなこともあるんだね。いやあ、驚いた。あれからずっと旅してるの?」

「そうですよ。続けられる間はずっと続けますよ」

「そっか。で、さっきの『すみませーん』って、あれ何?」

「ああ、こういう市場や広場で良い声で叫ぶと楽しいんですよ。その場に日本人がいるかどうかすぐわかるので。プレリードッグが辺りを警戒するみたいに、クって反応して、怯えた顔のまま目だけでこっちを探すんですよー。暇なときにたまにやるんですけど。あ、キングクラブ、あっちの屋台で茹でてくれるみたいなんで、一緒に食べましょうよ」

 茹でたての巨大なカニの足を一緒に食べながら、ビーは通り過ぎる人にロシア語で声をかけ、笑顔で「どうぞー」などと言いながら太いカニの足を一本手渡していた。

 俊平は、ジョージアからアルメニアへの国境で助けてもらったことの礼をあらためて伝えた。ビーはあれからアルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、キルギスタンあたりを彷徨い、カザフスタンでお金を稼いでからロシアに入ったという。

「ロシアは最近いろいろ不穏なニュースも多いけど、危ない目に遭ったりしなかったの?」

「え? 危ないのは国ですよね。人はみんな優しかったけど。世界中どこでも、普通にしてれば大丈夫なんじゃないですかね。私たちは世の中の上澄みの一滴みたいなものですからねー」

 ビーは、スマートフォンもラップトップも、持っていなかった。トルクメニスタンで盗まれたという。通話とテキストメッセージだけの古い携帯電話は持っていたが、電源アダプタをどこかで失くしたという。

「これ、コネクタの形が合うと思うので、あげるよ」

 俊平は予備で持っていたヨーロッパのコンセント用のアダプタを手渡した。

「ありがとうございます。助かります。さてと、これから宿探しなんですよ。またどこかで偶然に会うの楽しみですね。じゃ、また」

 と話している間にビーは市場の向こうに早足で消えていった。今度こそ連絡先を交換しようと思ったが、ビーとはこうして、世界のどこかで偶然会うのが最良のような気がして、やめた。

 数日間、ヒルケネスに滞在し、ロシア国境地帯へのツアーを含めて各所を歩き回った。そして次の仕事のスケジュールを考えて、ヒルケネスから空路でオスロに向かうことにした。

 ヒルケネス空港の出発ゲートに着くと、登機を待つ乗務員の中に、なんと、ホニングスヴォーグまでのフライトで一緒だったラルセン機長がいた。週一便だというホニングスヴォーグからヒルケネスの便に乗務し、これから同じ機体でオスロに戻るところだった。

「ハーイ、コンニチハ、シーロイシサン。今日は体調万全?」

「世界は狭いですね!」

「狭いというより、同じような考えや行動パターンの人同士は、地球のどこにいても、何度も会うんだよ。ホント」

 俊平は、ヒルケネスでロシアマーケットやキングクラブを見て新しい発見をしたこと、地の果ての辺境だと思った街が豊かな土地であったことを話した。機長は頷いた後、壁を指差した。

 WORLD MAPと書かれたレリーフがあり、ヨーロッパが中心の長方形の世界地図が描かれている。そして機長がこう言った。

「メルカトル図法の世界地図って、リアルじゃないんだな。地球は球体で、北極を中心に全部の大陸が隣り合ってる。日本も別に端っこにあるわけじゃない。コックピットからはよくわかる。表も裏も真ん中も端っこもない。それ知っちゃえば、辺境とか地の果てとか、そういう寂しい旅の概念はなくなると思うよ」

 自分が旅をしながら、自身で勝手に作り出した「寂しい辺境の概念」に囚われていたことを、そのまま指摘されてしまった。そのとおりかもしれない。これからも場所細胞の記憶に従って、この世界をもう少し自由に、縦横に移動し続けられそうな気がしてくる。やはり、旅をコントロールするのは、いつでも自分であるべきだ。



ペトラの時、東京の雨(二〇二二年)


 フリーランスのコンテンツエディター、三田アンナは、恵比寿駅近くのマンションの窓から、雨の続く東京の景色を眺めていた。

 白石俊平との仕事上の付き合いは、かれこれ八年になる。取材案件のデスク兼編集者とライターという関係だ。取材の発注と納品以外のやり取りはほとんどなく、それで業務としては何の支障もなかった。ただ、アンナには一つ、解消しきれない思いもあった。白石の記事は、筋がいい。事実を積み重ねた論理の骨格に、場所と人の質感が染み込んでいる。文章に締まりと奥行きがある。しかし書き手としての彼個人の輪郭が、仕事のコンテンツには一切現れない。プロとしての抑制か、あるいは何か別の理由なのか。それを確かめる機会がないままに、八年が過ぎた。

 ラップトップPCに向き直り、すっかり溜めてしまったメールをチェックし始めた。その中に、差出人が「白石俊平」のメールがあった。件名にはただ、「アンマンより」とある。

三田さん 白石です。

先般からお世話になっているヨルダン取材ですが、データ受領確認の返信をいただき、業務はすべて完了したと理解しています。

アンマンで数日ゆっくりしていますが、明朝に予定していたフライトには乗れそうにありません。目的地の入国に必要なPCR検査の陰性証明が届かないのです。COVID-19 はなかなか手強いです。そこで一週間後のフライトに変更し、それに合わせて再検査を受けることにしました。先日取材で訪れたペトラ遺跡にも、もう一度行ってみたいと思っています。

滞在延長はプライベートでやっていることなので、もろもろご心配には及びません。引き続きよろしくお願いします。白石

 アンマンで急に足止めを食らった割には、焦燥感やいらだちが全く感じられない。すぐに代替案を考えて、むしろ楽しんで予定を組み直している。

 アンナは返信を打ち始めた。

出国ができないとは大変ですね。こちらでできることがあれば連絡ください。ペトラ遺跡の再訪とは羨ましい——

 そこまで書いて、指を止めた。今の文面は、仕事の定型の延長にすぎない。彼の記事に感じてきた「書き手の輪郭が見えない」という感想は、実は自分のこの返信にも当てはまるのではないか。アンナはデリートキーを押し、よりプライベートな文面に書き直そうかと迷いつつもそのままにし、ドライなトーンのまま、メールを送信した。

 一カ月が過ぎた。東京にはほぼ毎日雨が降り続いていた。

 新たなメールが届いた。俊平からだった。

三田さん こんにちは。実はまだペトラにいます。実はPCR検査などどうでもよくなるほど、こちらの遺跡や歴史、そして人々の暮らしに魅了され、出国のフライトを何度も延期しています。こんなことは初めて、自分でもかなり驚いています。

そんなわけでペトラ遺跡は敷地が広大で、見るべきものがたくさんあります。毎日通っています。そうして気づいたのですが、あらゆる「遺跡」というものは、誰かが意図的に残したものではないか、ということです。政治的、商業的、あるいは学術的な理由で。意図的に残された、ということは、それを残そうとした人たちの「意思」が残されていることだと思うのです。遺跡で私たちが見ているのは、過去の事実そのものではなく、過去から現在に受け継がれている誰かの意思なのではないか。

そしてここペトラには、遺跡の中に千二百年前の歩道があるんですが、そこが六角形に削ったブロックを並べて舗装されていて驚きました。ある旅先で「巨大な正六角形で地球の表面を区切る」という妄想を聞かせてくれた女性のことを、不意に思い出しました。この話は少し複雑なので、いつか機会があれば。とにかく、ペトラ遺跡には、私たちが知っておくべきことのすべてがあるように思います。三田さんもいつか訪れてみるといいかもしれません。

明後日、一旦、ロンドンの居候先に向けてヨルダンを離れます。またのお仕事のオファーをお待ちしています。文字どおり、どこへでもすぐに駆けつけます。白石

 アンナは息をのんだ。八年間、一度も見たことのない熱量のプライベートな文面だった。ある土地を訪れることを個人的にすすめてきたのも、初めてだった。今回の仕事で依頼した観光記事は、ニュース記事の体を崩さない、締まりと奥行きのある良いコンテンツだった。それがプロとしての仕事なら、このメールには旅ひととしての白石俊平個人の質量がある。

 彼が書く記事の「見えない輪郭」の正体が、少しわかった気がした。彼の仕事は、彼自身が旅で積み重ねてきたものの上に成立している。プロとしての抑制が、その裂け目を塞いでいる。

 アンナはいつもの業務的な返信に、最後の一文を加えて送った。

俊平さんにとって、旅というものの軸が空間の移動距離だけでなく、時間の流れ、そして情報のあり様でもある。そんなことがわかった気がします。ペトラで気付かれたこと、ぜひまた聞かせてください。



未踏のピースへ(二〇二四年)


 おおぞら5号は帯広を出た後、広い根釧台地を東へ進んでいた。

 キルギスタンの駅の夢は、目が覚めてもしばらく消えなかった。あの声の主が誰だったか、それもわからなかった。旅先の記憶と感情だけが、夢の素材になる。場所細胞に刻まれた膨大な体験が、眠りの中で無作為に再編集されるのだろう。未来に関係する夢は、一つもなかった。

 廃業を決めた理由を、俊平は誰にも説明していない。年齢による体力の限界も確かにある。しかしより根本的には、この仕事の前提が壊れたと感じたからだ。

 二十一年前、「真実を見つけ、伝える側に立つ」という決意でジャーナリストになった。しかし今の世界では、事実は誰かが「事実だと決めたもの」になっている。

 その中で「事実を伝える」とは何を意味するのか。二年前にヨルダンのペトラ遺跡を歩きながら考えた。あの場所で俊平が見たのは、石の建物でも彫刻でもなく、それを残そうとした人々の意思だった。あらゆる歴史とはそういうものかもしれない。語られなかった言葉、残されなかった記録こそが本当の事実だとしたら、ジャーナリストが伝えられるのはいつも、誰かが望んで残したものの表面だけなのではないか。

 その問いに二年間答えが出なかった。それが廃業の理由だ。

 次の停車駅は浦幌、というアナウンスを聞きながら、ぼんやりしていると再び強い眠気が来た。目を閉じた。

 釧路駅のホームに降り立ったのは夕刻だった。根室行きの普通列車に乗り換えた。

 根室駅前でレンタカーを借りて、三十分ほどで風蓮湖の東端に到着した。根室半島の付け根の北側にある湖で、根室湾とは砂嘴で隔てられている。

 俊平は四十年前の十代のころ、初めての一人旅でここにやってきた。当時なぜこの場所を目的地に選んだのかははっきりとは記憶していない。しかし、自分の意思でアルバイトで貯めたお金で、鉄道やバスの乗車券を自力で手配してやって来たことは覚えている。当時の自分が自由に移動できる最も遠い場所だったのだろう。ここまでの道のりに何があるか、ここにどんな景色があるのかを知るためだけに、来たのだ。

 それは、この二十年、俊平が世界でやってきたことと何一つ変わらなかった。

 宿は風蓮湖畔のライダーハウスだった。驚くべきことに、四十年前に泊まったのと同じ施設だった。経営者と名称は変わっており、増改築も施されているようだったが、外観の一部と内部の作りには微かに記憶があった。

 翌朝、外に出ると、湖面には無数の水鳥が羽を休めていて、砂嘴の向こうには国後島が霞んで見えた。

「いい朝だ」

 俊平は誰にというわけでもなく、声を出した。

 波打ち際に立つと、自分が北海道を覆うピースの東端の辺上にいて、根室湾に向かって隣のピースが並んでいるのがわかった。四十年前に訪れたものの薄らいでしまった土地の位置の記憶が、今、上書きされている。

 やはり、緯度も経度も、そして国境も、すべて人が決めたものに過ぎない。俊平にとって地上の空間と位置を把握するには、脳内のグーグルアースにある正六角形のピースを使うのが最も腹落ちがいい。八年前の二〇一六年に、ビーという女性が旅先で教えてくれたものだ。

 風蓮湖を前にして、この先のオホーツク海方面に続く正六角形が、俊平にとって世界の中でも数少ない未踏のピースであることに気づいた。これからも、未踏の正六角形を訪れ、すでに訪れた場所には再訪する。自らの安全を確保するために位置情報を把握し続ける。仕事を手放しても、それは続く。

 さらに湖畔を歩いていると、遠くに人影が見えた。近づくにつれて、若い女性であることがわかった。バックパッカーというには軽装だが、ただの観光客とも違う、地に足の着いた落ち着きを感じさせる。ビーだろうか、と一瞬思った。彼女とは世界の思いがけない場所で再会を繰り返してきた。ここが次の場所だとしても、驚きはしない。しかしさらに近づくと、見知らぬ顔立ちだった。

 先に声をかけたのはどちらだったか。

「おはようございます。朝の湖、とても綺麗ですね」

 凛とした、それでいてどこか柔らかな響きを持つ日本語だった。見れば、ブルーグレイの澄んだ瞳が、朝日にきらめく湖面と同じ色を映している。

 彼女はアリツィヤと名乗り、ポーランドから来た旅行者だと話した。ほぼ独学だという日本語は驚くほど流暢だった。「動画投稿サイト見て、日本語、勉強しました」と笑いながら言う彼女の目には、自分の意思とお金で自らの足で世界を歩いている旅ひと特有の、しなやかな強さがある。

「カムチャッカから北海道まで、千島列島が美しい弧を描いているでしょう。ヨーロッパからグーグルアースで見ると、オホーツク海が美しい正六角形の内海に思えたんです。どうしてもそれを、この目で見たかったんです。でも、今はロシア側には行けないから。自由に歩けるのは、ここしかない」

 それが、この最果ての地を訪れた理由で、ここから海岸線に沿って稚内まで北上する予定だと、彼女は前を見据えて言った。その視線の先には、淡く霞む国後島の影がある。

「クナシリには、行けませんよね?」

 問いかけに、俊平は静かに首を振り、旅ひとが背負うには重すぎる現実があることを簡潔に伝えた。アリツィヤはただ、

「賢く旅をします」

 と答えた。聡明な光を宿した、落ち着いた声だった。

 彼女は、俊平が語るかつてのオホーツク文化の話にも耳を傾けた。知床や風蓮湖がその南限であり、当時、ここは温かなリゾート地のような場所だったのかもしれない、と伝えた。

「今も、冬の間、渡り鳥たちはここでリゾートを楽しんでますね」

 アリツィヤがそう言うと、湖面近くを滑空していた数羽の水鳥が優雅に水面に降り立ち、静かな波紋を広げた。

「いつか、オホーツク海をぐるっと一周してみたい」

 彼女の声は、旅ひとの未来に向けた明確な意志として響いた。俊平は自分自身の長い旅路を重ねた。この若い旅ひとに、自分にできることはないだろうか、そんな思いがふと胸をよぎる。まだ足を踏み入れていない正六角形のピースを持つ者同士、互いに地図をほんの少し広げ合うことができるかもしれない。

「あの……私これから、稚内まで北上します。その前に、もし良かったら、もっとオホーツクの話を聞きたいです」

 アリツィヤは少し考えてから、静かに微笑んで、連絡先を交換できないか、と言ってきた。

 俊平は名刺を取り出した。表面に記載されている「フリーランス記者」という肩書きを、おそらく最後に使う場面になるだろう、と思いながら渡した。

 風が止み、湖面は鏡のように空を映した。

 四十年前に自分が行くことができる世界の果てだと思ったこの場所が、すべての旅の始まりだったように、終点だと思っている土地は、実はより広い空間への途上にある。自分が移動するだけ、場所細胞は動き続ける。それで十分だ。

 アリツィヤの姿が少しずつ、小さくなる。すでに、稚内への道のりを歩き出したのかもしれない。旅ひとにはそれぞれの道がある。

 俊平はひとり、根室湾を臨んだ。自分はただ目の前の土地を踏破すればいい。移動した場所に線を残し、それを場所細胞に刻むことがすべてなのだ。

(了)

∎